• 越川雅史(こしかわまさふみ)
  • 昭和48年10月28日生まれ O型 市川市東国分出身
  • 身長179cm 体重81±2kg

■私の履歴書

1989年 市川市立東国分中学校卒業 野球部補欠(試合に出られず…)
この頃から「将来は政治家になる!」と周囲に公言するようになる
1992年 市川高等学校(市川学園)卒業 相撲部主将(軽量級で関東大会に出場)
平成2年には初めての選挙体験、かのう勝さんの衆議院議員選挙を手伝う。
相撲部を引退後、なぜか受験勉強を放棄しラグビー部に入部、少しだけ楕円球に触れる。そして、当然のごとく大学受験に全敗し、浪人生活を強いられる。
1997年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業 玉井清ゼミにて近代日本政治史を専攻
政治学科ゼミナール委員長として橋本龍太郎元首相、浜田幸一氏の講演会を主催。
1997年 株式会社福田組(~平成13年12月31日付退職)
田中角栄へのあこがれから新潟県に本店を置くゼネコンに就職、最初の赴任地は東北支店。青森県の工事現場にて、厳しい労働環境で働く職人さんが、持参した愛妻弁当を美味しそうに食べる姿を見て人生観が変化。「地位や名誉やお金を得るだけが人生じゃない!」と悟る。政治の世界へ飛び込むのは、結婚して、子供を持ってからでも遅くはないと考え方を改める。
そして、失敗しても良いから一度海外へ飛び出してみようと、生まれて初めてローンを組んで、通信教育にて米国公認会計士の勉強に着手。
2002年 米国公認会計士ライセンスを取得し、朝日監査法人(当時はArthur Andersenに転職。
2005年 7月よりニューヨーク駐在員となり、KPMG LLP(ニューヨーク事務所)に勤務。日米両国企業に対して内部監査及び内部統制に係るアドバイザリーサービスを提供する。
2008年 ニューヨーク駐在任務を完了し、帰国。あずさ監査法人に復帰。
2009年 11月に退職し、独立。夢を実現すべく、安定した生活を捨て退路を断つ。
2011年 4月:市川市議会議員選挙に無所属にて初当選。3,354票を賜り立候補52人中第11位。無所属の新人議員ただ1人、「初挑戦・初当選」を果たす。
会計士・経営コンサルタントとして東京・第一線で活躍する経験と実績が評価され、市川市議会建設経済常任委員会副委員長に就任。
2012年 11月:フランス共和国イッシー・レ・ムリノー市とのパートナーシティ締結に際して、「長老議員5人をビジネスクラスにて派遣する」という議会の決定に異を唱え、当時所属していた会派「緑風会」から退会勧告を受ける。
さまざまな圧力に負けず、1人会派「無所属の会」を結成、代表に就任。
2013年 会計士・経営コンサルタントとして培った専門性を生かして、提案型質問にて政策実現を図る一方、追及型質問にて無駄遣いを厳しく指摘。
6月:専門誌『日経グローカル』誌にて、「奮闘地方議員」として紹介される。
8月:湯浅止子、秋本のり子両議員からの申し出を受け、新会派「無所属の会・市民ネット」を結成、会派代表に就任する。市川市議会では唯一の1年生議員の会派代表(当時)。
9月:私立保育園運営費補助金に係る補助金交付基準からの逸脱が年間1,000万円以上に上る点につき自らの調査結果を市に認めさせ、地元紙市川よみうりに一面トップにて報じられる。
2014年 “議会バックレ”が全国的なニュースになった松永鉄兵副議長に対して提出された不信任決議案について賛成討論を行い注目を集める。議長、副議長への不信任案の提出は市政80年で初めて。
6月:市川市が収蔵する美術品等の問題点について一般質問。累計5億円もの費用を投じて収蔵された美術品約400点が、定期的な実地棚卸もされずいわば倉庫に眠ったままとなっていることを指摘すると共に、積極的な活用を提言する。
9月:公民館等の使用料を一気に3倍程度に値上げする議案第13号に、ほとんどの議員が黙って賛成する中で反対の立場からただ1人修正案を提出。この時点では否決されたものの、その後も粘り強く働きかけ、平成30年9月定例会において元に戻す形での値下げを実現!
11月:政務活動費を使った切手の大量購入に係る住民監査請求の結果が公表されて以降、「政務活動費を使った切手の大量購入」問題を徹底的に調査。米国公認会計士としての知識と経験を生かした追及が市民及びマスコミ各紙より注目される。
2015年市川市議会議員選挙に再選。3,683票を賜り立候補60人中第4位。
選挙公約通り、市川市議会「政務活動費等により切手を大量に購入した議員の調査に関する特別委員会(いわゆる100条委員会)」を設置を実現し、自ら副委員長に就任。
不適切な使途を徹底的に調査して疑義を質した上で、政務活動費約900万円の返納を実現する。100条委員会では調査報告書や青山ひろかず議員に対する議員辞職勧告決議案を取り纏め、全会一致での可決に導く。
2016年
2017年6月:里見公園分園にテニスコートを整備する(さくらの木の伐採を含む)計画につき質問し、計画断念に追い込む。
8月:浸水常襲地域である新田地区の道路側溝新設工事を実現。台風やゲリラ豪雨に際してたびたび道路冠水が発生していたが、これ以降浸水被害は大きく改善する。ただし、まだまだ十分とは言えず、引き続き「水害のない市川」を目指して活動する。
2018年“10日に1度のペースで海外出張”を繰り返した村越ひろたみ前市長に対する追及を開始。
2019年市川市議会議員選挙に3選。3,906票を賜り立候補56人中第3位。
市議会に虚偽の説明をして「高級電気自動車テスラ」を公用車として導入した村越ひろたみ前市長を追及、議会での質問の様子がマスコミに取り上げられ全国的なニュースとなる。
念のため解説すると、村越ひろたみ前市長は当時クラウンハイブリッドの立派な公用車を使用しており、そのリース期間は3年残っていた。また、予算計上時に「電気自動車は導入しない」と虚偽の説明をしていたことから、この問題を看過せず、唯一人市議会にて質問で取り上げた。
2020年前市長による、中央階段追加設置工事や社会実証実験といった1億円を超える無駄遣いの数々を厳しく追及。前市長が再び市長選挙で当選してしまえば、市川市の利権腐敗が深刻になるとの危機感を抱き、綿密な調査を重ね、税金の無駄遣いを追及する日々を過ごす。
2021年職員から匿名の文書が届き、前市長が秘密裏に市長室にガラス張りのシャワールームを設置していた情報を得る。公文書公開請求を繰り返し、慎重な調査を重ね事実を裏付け前市長を追及。Yahooニュースでトレンド入りするなど「市長室のシャワールーム事件」がマスコミで大きく取り上げられる。これを逆恨みした村越ひろたみ前市長は、越川雅史のパワハラ疑惑をでっち上げ、これまたマスコミを賑わす騒動となる。
2022年3月:市長選挙にて村越ひろたみ前市長が落選、供託金没収となる。
6月:前市長がパワハラでっち上げ事案がやっぱりでっち上げだったことを総務部長が認め、越川雅史に対し謝罪。
2023年2月:前市長がでっち上げたパワハラ疑惑に関連する公文書が撤回される。1年半に及んだパワハラでっち上げ事案がほぼ決着。

■横顔

  • 市議会議員になる前からプロフェッショナルとして行政の監査にも従事(仙台市包括外部監査補助者を経験)。今も経営コンサルタントとして腕を磨き、議員活動に役立てている。
  • 市川学園土曜講座講師(平成18年度)。母校に講師として呼ばれるのはちょっと照れ臭い。
  • コロナ禍になり、飲食を伴う会合が激減したことから肉体改造に着手、今も筋トレに励む。
  • 市議会議員就任以来、市川市民元旦マラソンを皆勤。以前は5キロだったが、今は10キロを完走。
  • ■趣味

    • コーヒー、ウイスキー、各種スポーツ観戦(大学・高校ラグビー、高校野球、大相撲、女子バスケ)、列車の旅(47都道府県すべてを訪問)

    ■人に自慢できること

    • 転職も独立も選挙立候補もしたが、1日も途切れることなく仕事を続けていること
    • 大学2年時、1年生のドイツ語の授業にて読売ジャイアンツの高橋由伸前監督と机を並べたこと

    ■免許・試験合格

    • 米国公認会計士(イリノイ州:2002年~) 今も「経営コンサルタント」と「市議会議員」の二刀流
    • 宅地建物取引士(2020年)コロナで各種イベントが中止になり時間ができたため、その隙に受験、合格。
    • 公認内部監査人(2003年)
    • 貸金業務取扱主任者(2008年)
    • コンプライアンスオフィサー協会認定金融コンプライアンスオフィサー(2009年)
    • 日本商工会議所珠算能力検定試験1級(1986年)
    • 東京商工会議所暗算能力検定試験1級(1985年)
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